おもとの美しさと芸


1) おもとの美しさ


私たちが「おもと」を観賞して、直感的に”美しい”と感嘆するのは、玄人、素人を問わずおもとの葉の一枚、一枚と言うより、先ず、おもとの容姿の美しさに魅せられ、更に、その容姿の美しさを構成する葉の一枚一枚の形の変化や珍しい斑の美しさを見て、それぞれのおもとの個性美を見出し感動している。 おもとのどの品種でも、容姿(芸)が崩れていては、個性美を現す葉の形の変化(芸)や斑(芸)の美しさが優れていても、その「おもと」からは、おもとの持つ奥深い美を感じ取ることが出来ない。 容姿の美しさの最もデリケートな例が、一見、同じように見える「天光冠」と「富国殿」の違いである。

 

それは、一次(容姿)、2次(葉の形の変化や斑の美しさ)の美的因子の織り成すニュアンスの問題と言える。この二つの品種の容姿と葉形を観察すると、天光冠の葉先は全部まるく、葉の組み合わせ(襟組み)は余り整然としていない。葉肌(地合)は滑らかで、光沢と言うよりはガラスの様な、光を吸ってしまう透明さがあり、地平から斜め上に伸びようとする姿である。一方、富国殿の葉先は全部とがって、襟組みが整然としている。地合は荒れて光沢が無い、地平に伏して横に伸びようとする姿である。天光冠は柔和で親しみ深さを感じ、富国殿は鋭敏で近づきがたいものをその美しさから感じる。ある人は天光冠はビーナスであり、富国殿は般若的美人であると言った、どんなに似ているものでも、微妙な変化に目をやれば、必ず品種独特なニュアンスにぶつかる。


2) 容姿(芸)のいろいろ

おもとの美しさの項で述べたように、芸のキーポイントは容姿にあり、観賞法が今日までこまやかで喧しかった反面、容姿についての表現の仕方は、葉丈を現す大葉、中葉、間葉、小葉、容形を現す、立ち葉、垂れ葉、獅子葉、それに葉繰り、襟組み、腰の折下げ、など、容姿の構成要素の個別の芸に対する表現方法が一般的で容姿を現す表現は余り普及していない様である。ここでは、 昭和36年に初版が発行された「原色おもと図鑑」(監修:日本おもと協会著者:奥谷守松・榊原忠蔵)に紹介されている、「容姿のさまざま」のスケッチを紹介するので参照されたい。


3) 容姿の美しさと黄金分割(GoldenCutまたはGottlicheProportion)


私たちは、おもとの容姿から「美しさ」を感じとる美学的根拠は何だろうか?私たちは無意識の内に、エジプトのピラミッドやアテネの町を見下ろすアクロポリスの丘に立つパルテノン神殿の残骸を美しいと感じ、自然界の造形のオウムガイが作る等角螺旋や、卵やノルウエー桧の外接矩形、更に身近なバランスの取れた人体や顔から「美しさ」を感じている。美しさを私たちに感じさせる「バランス」、それが一般に言われている黄金比、あるいは、黄金分割と呼ばれている美学的に最も釣り合いの良い比、1:0.618なのです。自然の芸術とも言える、おもとの容姿を掘り下げてみると、右図に示すようにおもとの葉が作る大開度222°29′32″と小開度137°30′28″の比が黄金比の0.618055・・になっているのです。黄金鳳などの垂れ型の場合は逆に成るだけで、その比は変わらないので、やはり美しいと感じるのです。もちろん、どの品種でもこの比に容姿が整ってくれば、均整のとれた美しさを感じられるようになるのです。


4) 芸の構造と構成要素


おもとの美の形態は「芸」という言葉で単的に実に巧みに表現されている。芸の意味は「このおもとは、よく芸をしていますね」という会話からも理解できるように、葉の変化が十分に現れた場合を指している。私たちはとかく千差万別の品種をまったく異種同視してしまうものであるが、それは、日本的こまやかさがこれほど集められている園芸植物も無いからである。そのために、ともすれば千何百種の品種から銘鑑に書き連ねてある内の1品種を取り出して、イメージに描くなり、実際に棚の中から見つけるなりするにも大変骨を折る。品種の区別は、葉の変化、即ち「芸」を一番の頼りに見てゆかなければ成らない。 容姿によって、大雑把にその品種の外郭をつかみ、更に部分的な見方で確実な特徴を細微にわたり脳裏に刻み付ければ、一つの品種を他の品種から識別する力がつく、いわば容姿は身体つき(構造)で、葉形、地合い、斑は身体つきの構成要素と思えば良い。構成要素だけを考えて行くのもおかしいし、構造だけを考えるのも片輪な見方である、構造と構成要素は相関関係にあることを十分知っておくと良い。


5) 葉形の芸と使い方



6) 斑(芸)のいろいろ

斑は今日の品種育種の大元である。時代が流れ、斑の種類も増し、現在は実に美しい模様の斑があり、素晴らしい変化が見られる。育種から見ると、前期は根変わり、葉変わり、突然変異といった自然の力に頼っていた原始期、収集期であり、後期は交配技術によって人工的にある程度造型化されだした造型期、選択期である。今日では大葉おもとを除き、小おもとでは、斑はおもとの美的価値を定める二次的条件となった。葉形、地合い、容姿に対する条件が喧しくいわれ、斑はそれら一次的条件を壊さない程度に、調和のある品種が優れているとされている。 交配技術の視点から斑を遺伝学的に見ると、斑はキメラと遺伝の関係を説く鍵である。メンデル、モルガン学説と、リセンコ学説の対立材料にしばしば持ち出され、一つの自然法則を探し当てようとして、今もって自然科学の中で究明されない問題であるが、最近、ノーベル賞に輝いたMcClintock女史が行った、トウモロコシの種子の斑入りとその不規則性について移転因子の存在が報告され、分子遺伝学的解析が著しく進展している。従来から易変因子(mutable gene)として取り扱われていた一般植物の斑入り現象も視点を変えて見直されている。 ここでは葉に現れる斑について、従来、使われてきた芸の呼び名に基づいて説明する。



7) 地合い(品種鑑定の力)


陶器や織物に見られるように、おもとも趣味が深くなると外見の面白さよりも、そのものの内面から滲み出る美しさに惹かれるようになる。おもとでは葉の地肌に現れる色々な変化の事を「地合い」或いは「地質」または単に「地」といっている。 私たちが容易に理解できる地合いは、薄葉と厚葉、さらに羅紗地の地合いの違いである。しかし、羅紗地系統のおもとの地合いを良く見ると微妙に異なり、優れた地合いを持つ品種が数多くある。これらの地合いに対する深い認識と十分な鑑識眼を持つ専門家は少なくなりつつあるが、解るも解らぬも精進一つ、多くの品種を手にして鑑識眼を身に付け、おもとの内面から滲み出る美しさを味わって頂きたい。
羅紗地系統の地合いの中でも、天光冠のつるりとした地合いと聖雲殿や黄金錦のざらざらした地合いの違いは解り易く、前者を「水晶地(すいしょうじ)」、後者を「荒地(あれじ)」と呼んでいる。この他、地合いの表現に、艶地、艶消し地、柚子肌地、浮き地、肉厚地、等の表現が用いられている。
これらを識別するまでに趣味が進んでくると、切り落とした葉一枚、無芸の芋吹きや割り子を見ただけで、品種を鑑定できる力が備わる。これは大葉、小おもとを問わず共通している。


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